代表取締役

神田 定秀

かんだ さだひで
当社は祖先より600年余り受け継がれてきた在来工法で、社寺建築の修繕・改築を行い、後継者の育成に勤めています。
意匠・美意識に欠けることなくバランスのとれたものに仕上げてこそ、日本文化を受け継ぐと同時に人に感動を与えると考えています。
また、常に感謝の気持ちで日々の仕事に邁進して参ります。

ふ る さ と 文 化 賞
宮大工として長年文化財建造物の

復元・保存修理に携わり、

後継者の指導・育成を図るとともに

地域文化の向上に

努めたことにより受賞しました。
建 築 士 会 全 国 大 会 表 彰

建築の伝統的文化の発展に

努めたことにより表彰されました。

森 の 名 手 ・ 名 人 認 定 証
森に関わる生業や

地域生活に密着した営みにおいて

優れた技を極め

他の模範となっていると認められました。
技 能 顕 功 賞
伝統建築大工として

永年多数の文化財建造物の

修繕、後継者の指導に

努めたことにより受賞しました。
文 建 協 認 定 書
文化財保存に必要な高度の知識・

技能の習得・資質の向上を図る、

伝統木工技能の認定を受けました。

宮大工名匠の里( 大工町 )

大工町は名の通り、大工職人の里として非常に有名な所です。

その昔、京都に都が在った頃、宮中に出入りを許されていた大工の棟梁( 飛騨の名匠だったと聞いています )が、雲潤の里と呼ばれていたこの地に身を寄せて来ました。
その名工はこの地で、自分の技術を子孫に伝えたのです。その技は次第に全村に及び、多数の大工が生まれることになりました。
この村に在るお宮の敷地には、以前一反歩( 10アール )にも及ぶ広さの前方後円墳が在って、これは飛騨の名匠の墓であると言い伝えられています。

大工村の職人たちは、特に社寺建築の技術に長じておりましたので、各地のお寺や神社は、この村の大工が建てております。
中でも、この村から丹波を経て京都に通じる沿道の神社・寺院は、この村の職人によるものが多いです。
京都で御所の御造営が行われた時も、この村から65人もの大工が、京の都に出てその建築に携わりました。加西市でも酒見寺や奥山寺の多宝塔等は、大工村の職人によるもので、その技術の高さを伺い知ることが出来ます。
そして大工町には300年以上も経た今も、この技術が生きているのです。

ちなみに大工町の「神田」という名字は、当時宮中より授かったものだと言われております。( 小説「白鷺の城」、著者/黒部 亨にも脇棟梁、神田 音吉として載っています )
仕事の功績によって姓を頂き、藤原、高橋 宗左衛門、神田 作左衛門と姓が代わり、そして現代、神田 利八郎、神田 利一( 昭和62年 黄授褒章受賞 )を経て、30代目 神田 定秀( 文化財建造物技能認定者 )と至っています。
( 神田 勲氏・神田 利一氏の話より )

御 札
御 墓
功績の大きかったと

思われる祖先に

立派な墓が残っています。
勲 章
文化財修繕に宮大工の

伝統技術を発揮した功績と、

後進の者に継承出来るよう

指導努力したとして受賞しました。